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2018年2月16日金曜日

研究は儲けにつながるのか?日経の記事について考えたこと

とても気になるニュースがあったので、それについて考えたことをここに書いておきます。

数日前の日本経済新聞の記事に以下のような記事が載りました。

博士採用増で生産性低下 企業、使いこなせず? 日経センター調査

記事の内容は、日本経済研究センターと呼ばれるシンクタンクの研究によると博士を多く雇っている会社ほど生産性が低くなる傾向があった、というものです。

記事のもとになった日本経済研究センターのレポートの公開されている部分が非常に胡散臭いものだったためネットでは大きな話題になりました。概ね「ダメな統計」の典型例として扱われているようです。

レポートをはじめに見たときはあまり内容がピンとこなかったので、すぐに興味を失いましたが、その後津川雄介先生のTwitterに解析の内容を示した表がアップロードされてのを見て、実はとても面白い内容なのでは?と考えるようになりました。
解析方法の詳細まではわかりませんが、表はおそらく重回帰分析の結果で会社の生産性が応答変数になっていると考えられます。赤いものは係数が負になったもの、アスタリスクは推定値が有意かどうかのようです。僕はこの解析結果は決して多くの人が言うようなデタラメとは思いません。面白い結果だと思います。 

会社の生産性(つまり一人当たりの儲け、正確には付加価値)は様々な変数によって説明されるようです。いくつかあげてみると...

  • 新しい会社は生産性が高い。本社が東京にあるとよい。
  • 産業ごとに生産性がかなり違う。生産性が高そうな医薬品や通信産業は高く、低いとされるサービス業は低い(ただし有意ではない)。 
  • 社内で研究をする会社は生産性が低い。
  • 研究者の数や博士の数が多いほど生産性は下がり、研究補助者が増えると生産性があがる。

問題は最後の項目ですが、最初の2項目をみるとそれなりに納得がいくので、最後の部分だけが完全に間違っているという意見はあまり信じられません。それではこの結果は何を意味しているのでしょうか...

まず自社で研究をすると儲からないということは確かでしょう。あるいは儲かっている会社は研究しないといってもいいかもしれません。そして、もし研究をするなら、博士を多く雇うよりも、博士の数を少なくする一方で研究補助者を増やすと効率的に稼げる、ということだと思います。生産性が高い会社は少数の博士と多くのアシスタントを使って研究している、と考えると必ずしも不自然な結果ではないのでは?と感じます。

もちろん解析に問題があるとは思います。例えば交互作用が一切考慮されていません。ただ変数が多い場合にうまく適切な交互作用を見つけかつ解釈するのは簡単ではありません。あとは共線性とか、コントロールするべき変数が欠けてるかも、とか奇妙な結果につながる可能性は数えれば限りがないですが、それらが本当に問題になっているかはわかりません。

一つだけ述べるなら、交互作用が考慮されなければならないとはっきりわかるのに、考慮されていない部分があります。研究補助者の数と研究者/博士の数です。研究者がいないときに研究補助者の数を増やしても生産性があがるとは考えられません(研究者のいないときは研究補助者はなにもできないからです)。逆に十分な数の研究補助者がいる状況では研究者の数の増加は高い生産性につながるかもしれません。もし、再解析するならその点を含めてほしいかなと思います。


それでは、そもそもなぜ博士をたくさん雇うと生産性が下がるのでしょうか。最初は博士の人件費がアシスタントより高いからでは?と考えましたが、違います。生産性(=付加価値/従業員数)の計算には人件費が引かれる前の利益が使われるので人件費を削減することは生産性を向上させません(多分)。正直経営の領域なのでよくわかりません。しかし研究の専門家が増えると研究に必要なコスト(高価な実験機器、試薬、電気代など)は増えるけど、儲けに繋がるアウトプットはそこまで増えないというのは、十分にあると思われます。

もし博士の数を増やしても生産性が増えないし、そもそも研究を企業ですると損をするというのが本当なら、残念ながら博士取得者が民間企業に就職するメリットはどちらにとっても少なくなると言わざるを得ないと思います。同時に企業が効率的に儲けを出す方法はかならずしも高度な研究によらない、というのはある意味あたりまえのことなのかもしれません。

2015年9月20日日曜日

三角関数は役にたつ以上のものだと思う

いまさらですが鹿児島県の知事が先日「女子に三角関数を教えてなんになる」という趣旨の発言をして話題になりました。

 「女子に三角関数教えて何になる」鹿児島知事翌日撤回 -読売新聞

"またか"というのが正直な感想ですが、 それについて気になる記事を見かけました。

「女子」は置いといても、サインコサインは議論の余地がある -長谷川豊公式ブログ

筆者である長谷川氏の意見を要約すると、高校で授業に使える時間は限られているので何を教えるかを慎重に選ばなくてはならない、その中に三角関数を入れるべきかどうかには議論の余地があるのではないか、というものです。また、社会のなかで生きるのに重要なことである、「政治のシステムと選挙について」や「話術」、「薬学」といったものは教えられていないのに三角関数を教えなければならないのはなぜなのか、という疑問を呈しています。

ちなみに長谷川氏のいう「政治のシステムと選挙」、例えば、
国会には二つの院があるんですよ、とか、「通常国会」はいつから始まって、秋には「臨時国会」があるんです、とか知らない人、そこそこいません?
これは高校の公民で教えています。少なくとも僕は二院制、通常国会、臨時国会という言葉を習ったことを覚えています。通常国会がいつから始まるかを教わったかどうかはあいまいですが、何ヶ月間の会期があるかは習いました。あとの「話術」、「薬学」と三角関数のどっちを教えるかに議論の余地はない気もしますすが、なぜ三角関数が重要かをちょっと考えたので書き記しておきます。

僕個人の意見としては"○○を教えるぐらいなら××を教えろ"と言う意見のほとんどは意味のないものだと思います。長谷川氏のいうように高校の授業時間は限られているので、すでに教えるべきことの多くは充分に選択されていて簡単に入れ替えられないものばかりです。

それでも知識は常に古くなるし、新しいものと交換する必要はあります。僕の専門の分野の生物学では知識の更新スピードが速いので、内容の変更は多くあります。"人間の遺伝子は2.5万個である"とか"地球上にはおよそ900万種の生物種がいると推測される"といった知識は将来的に書きかえられるでしょう。

でも、たとえそうであっても、数学のカリキュラムから三角関数が消えることはありえないはずです。なぜなら三角関数は数学の最も基本的なパーツの1つだからです。たとえどんな分野であっても、少しでも数理的な考えをするなら、三角関数が不要であることはありえません。

三角関数の歴史は古代ギリシアまで遡るそうです。もともとの三角関数のアイデアは「角度」と「長さ」を結びつけることです。直角三角形のある角の角度がこれなら、ある辺の長さはこう決まる、といった感じです。その知識を使えば、木に登らずに木の高さを測ることができますし、星や太陽の高さから自分がどれだけ移動したかを知ることができます。

もっと後の時代には、三角関数を上手く解釈すると「波」を表現できることに頭のいい人たちが気付きました。例えば、音は波ですから、三角関数を組み合わせて表現できます(こういうアイデアは18世紀頃まで遡るそうです)。iTunesストアやAmazonで売っているmp3ファイルは人間に聞こえない振動の波を取り除くことによって圧縮を行っています。当然三角関数が圧縮の重要な部品の1つになっています。ほかにも、コンセントに流れる交流電流も波ですから、電気を安全に送るのも三角関数です。

すでに多くの人が三角関数が役に立つ例を挙げていると思います。どうしてこんなにいろんなことに使えるんでしょうか? 三角関数に限らず数学の多くがそういう性質をもっています。それは多分、数学が事物に関する知識ではなく、考え方に関する知識だから、だと思います。良い考え方に関する知識は使い方を理解すれば特定の対象に縛られません。(僕はこれが数学を学ぶ最も重要な理由だと思っています。)

特定の対象に縛られないということは mp3や交流電源がこの世から消えても、三角関数自体はなくならないということです。角度と長さ、波、周期的に変化する現象、といったものを考える必要がある限りその必要性は消えません。そして、そういう必要性は人間の文明の歴史の中で驚くほどたくさんあって、だからこそ三角関数は重要な数学のパーツになっているんだと思います。いつか日本国憲法が使われなくなって歴史上の一事実になったときでも、三角関数は(僕の知らない未来の技術に)使われているでしょう。

現実的な話をすると、mp3の原理である"フーリエ解析"や交流回路を扱うのに必要な"複素解析"は大学の学部課程で教えられています。もし、高校の授業から三角関数が無くなれば、このような知識を教える前提が失われます。大学の初年度から全てを教えられるとは考えられません。また、専門知識を学ぶ前の高校生の段階で、人間の知的活動の最も基本的で洗練されたパーツを知っておくことは充分に有意義だと思います。三角関数に限らず使う意思があるなら必ずいつか何かの役にたつはずです。(もちろん今の教え方がベストかは議論の余地があると思います)

2012年12月24日月曜日

今年のニュース

毎年年末になると、今年を代表するニュースが選ばれます。そこで僕も今年最も印象に残ったニュースを紹介したいと思います。
これです。

Bangladeshi workers risk lives in shipbreaking yards guardian.co.uk

イギリスのガーディアンの記事でバングラディシュの船の解体産業とEUの規制についてのニュースです。印象的な写真もあります。

Inside the shipbreaking yards of Chittagong - in pictures

バングラディシュでは毎年100万トン以上の外国船が廃棄されています、そして、それを解体してスクラップを売る産業が同国の経済の重要な位置を占めています。バングラディシュで使われる鋼鉄の半分近くが船の解体から得られているということです。解体の作業は劣悪な環境で行われており、作業員の怪我や船に残された化学物質による環境汚染が問題になっています。それに対してEUは圏内で使われている船を廃棄するときには化学物質を除去すること、ライセンスを持った正規の解体業者によってのみ解体させること、などを義務付けるルールを作りました。それがバングラディシュの経済に悪影響を与える可能性もある、というのが記事の無いようです。

今まで知らなかったことを教えてくれて、かつ深く考えさせられる内容が"印象に残ったニュース"として選んだ理由です。

僕自身は知りませんでしたが、インドやバングラディシュでの船の解体は数年前から問題視されるようになっていたようです。(石油タンカーがどこに捨てられるか、なんて普段は深く考えません) 先進国と発展途上国の不平等。国際社会の複雑な関係。持続可能な経済をつくることの難しさ。いろいろなことが1つの記事から浮かび上がってくるニュースでした。

2012年10月27日土曜日

ちょっとこわいDNA鑑定

こんなニュースが最近ありました。

飯塚事件:ネガから元死刑囚と異なるDNA 弁護団発表
http://mainichi.jp/select/news/20121026k0000m040111000c.html

もし、この事件が冤罪であれば本当に恐ろしい話です。

少し調べてみましたが、1990年代初頭に使われていたDNA鑑定の方法は、単一の遺伝子座を用いて行うものが主流だったようです。マイクロサテライトなどの繰り返し回数が人それぞれで異なるゲノム上の1領域を増幅して比較する、というのが基本的なアイデアです。

現在問題にされているMCT118法は、ゲノム上のMCT118(別名D1S80)と呼ばれる領域をPCRで増幅し、反復配列の繰り返し回数を調べて個人を特定する方法です。D1S80の繰り返し回数は30種類程度あり、染色体二本分を考えれば、遺伝子型は30×30で、900種類。赤の他人どうしの型が一致する確率はおよそ1/900になる、ということですが...

 単純に考えて10万人の人口の町なら、100人以上同じ型の人がいることになりますから、かなり大雑把だったようです。加えて1/900と言う数は繰り返しの種類が同じ頻度で集団内に存在していることが前提になってます。極端な例を挙げると、もしある反復回数の頻度が50%あるようなときは全体の1/4の人間が同じ型をもつことになりますし、親戚縁者の間では一致する確率が上がることも考えられます。
(例えばカタール人の場合、最も多い2つの多型の頻度がおよそ40%と20%と報告されています。この場合この2つを含む4種類の遺伝型を持つ人だけで全体の35%を超えることになります(計算間違ってるかもしれません))

今回のニュースや以前の冤罪のケースで指摘されたのは、増幅された遺伝子の長さを調べるときのゲルの読み間違えや見落としといったことが問題にされているようですが、どちらにしても精度の低い黎明期の技術を使って死刑という重大な決定をしたのは恐ろしいものを感じます。もちろん当時は信頼に足る技術と考えられていたとは思いますが。

DNA鑑定とは関係がないですが、再鑑定で無罪になったかつてのケースで自白などがあったこともやはり気になります。それらはどこから来たんでしょうか?
DNA鑑定の技術が発展したことによって、犯人を見つけることが容易になったと同時に警察の捜査の問題点も容易に明らかになるのは少し皮肉な気がします。

DNA鑑定の技術自体は、正確さの問題を解消するために、長く改良がなされてきたようです。現在のDNA鑑定は、単一遺伝子座ではなく、複数の遺伝子座を調べて個人を特定します。CODISと呼ばれる一般的な方法では13のようです。この場合たとえ1つの遺伝子が偶然1/100で一致しても、全てが一致する確率は(1/100)13ですから、間違いはほとんどないように思えます。ゲルの読み取りも毛細管電気泳動を使っているはずなので、昔より遥かに正確になっているようです。
(ただし、これらの方法でも偶然の一致は存在するようです。そもそも人間には必ず血縁関係があるので、それぞれを単純に独立したサンプルと考えるは危険なのかもしれません)

2012年9月21日金曜日

ゼロシナリオの話

政府は、2030年代までに原発をゼロにする、とした「革新的エネルギー・環境戦略」を閣議決定とすることを見送ることにしたそうです。

http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120919/20120919_1.pdf

原発ゼロの方針を示した数日後に、このあいまいな内容ですから、「革新的エネルギー・環境戦略」をつくった人たちはどんな気持ちでしょう。

「革新的エネルギー・環境戦略」が出たあと、話題になった討論型世論調査の内容や民主党の提言などを改めて読みなおしてみました。
世間での風当たりは強いようですけど、これらの内容をよく読むと、どうして討論型世論調査で50%弱の人が原発ゼロシナリオに賛成したのかが少し理解できました。

国家戦略室エネルギー・環境会議によるサイトによると、有名な”原発ゼロシナリオ”(ゼロシナリオ)は次のようなものです。

2030年までに現在25%程度の原発依存度を0%にする、同時に現在10%程度の再生可能エネルギーの割合を35%まで引き上げる。火力発電の割合は概ね現状維持で65%程度のまま。また総発電電力量を現在の90%まで節電によって減らす。

それ以外のシナリオは原発の割合を15%か25%、再生可能エネルギーを25-30%ずつ、火力を50-55%にする、というものです(15シナリオと20-25シナリオ)。

こちらのページではそれぞれのシナリオにおける電力料金や経済成長への影響を予測した結果も示されています。これがどのシナリオを選択するかの基準になっていると思います。

特に興味深いと思った点は、どのシナリオでも電力料金は上がる、という点です。ニュースで有名になったように、ゼロシナリオでの料金は最大で現在の約2倍ですが、それ以外のシナリオでも1.2倍から1.8倍に上がると予測されています。 これは火力発電には将来的には地球温暖化対策により多くのコストがかかり、原子力発電には、従来推定されていたより大きな社会的コストが存在するところから来ているようです。 このことは、どのシナリオでも再生可能エネルギーの割合を2倍以上にすることになっている理由でもあるようです。

GDPに対するそれぞれのシナリオを影響予測も似たようなものですが、ゼロシナリオが少しだけ影響が大きいようです。 それ以外に考慮するべき、温室効果ガスの削減、燃料の費用、どれも見た目には大きな違いが無いようにみえます。

少なくとも、僕はこの内容を見る限りでは、ゼロシナリオでもいいと思いますし、討論型世論調査に参加した人もそう感じたのではないかと思います。必ずしも突拍子もない方向性ではないと思います。

それにどのシナリオを選ぶにしても、より持続可能な方向に文明を変化させていかなければならないのは必然ですし。

ただし、これらの予測モデルでは、再生可能エネルギーのコストは将来的に大きく下がる、と仮定されていますし、それらの社会的コストが無いと仮定されています。 実際に再生可能エネルギーのコストが下がらなければシナリオ自体が"絵に描いた餅"になるでしょう。化石燃料発電への依存度の高さも気になります。

全体的にエネルギー・環境会議のサイトを見て好感を持ったのは、できる範囲で、わかりやすく伝えることや議論をオープンにしようとしているのがわかることです。(多くの資料がウェブ上で見ることができるようになっていますし、討論型世論調査の資料(pdf)は分かりやすいと思います) オープンであるから、批判的な意見を述べることもできるわけですから。

 結局政府があいまいな雰囲気の決定にしてしまったのは、国民的議論をするために費やされたであろう努力を想像すると、少し残念な気がします。

2010年5月10日月曜日

海洋保護区問題-イギリス的な理屈

少し前になりますが、こんなニュースがありました。

UK sets up Chagos Islands marine reserve - BBC News

イギリス政府がインド洋に保有する領土、チャゴス諸島、を海洋保護区にするというものです。新たに創設される保護区内には商業的な漁業を一切禁止する領域が設定され、保護区全体の面積は50万平方kmで世界最大になるということです。またチャゴス諸島には200種類以上のサンゴと1000種以上の魚類が生息しており、世界でも有数の生物多様性が存在しているそうです。

生物多様性条約の締約国会議が今年行われることもあり、イギリスもそれにあわせて積極的な保護活動を行っているのかな、とNature podcastで聞きながら考えていたのですが、このニュースには続きがありました。そしてそれはとてもイギリスらしいものでした。

このチャゴス諸島にはイギリスから土地を貸与された米軍の基地があり、1960年代に基地の建設のために島の住民を無理やり退去させた、という歴史があるようです。その住民は今なおイギリス政府と島への帰還を巡って裁判を行っています。そして住民には、保護区の設定はイギリスによる島の領有を永続化するための方便に過ぎないと捉えられており、反発を招いているということです。

調べてみると、この決定に批判的な記事がいくつか見つかりました。

Chagos Islanders attack plan to turn archipelago into protected area - guardian.co.uk

Fury of Chagos islanders as Britain creates world’s largest marine nature reserve - Times Online

例えば上の記事の中で、保護区案に反対のモーリシャス政府の人物は”イギリス政府の計画は帰還を阻もうとするグロテスクなほど見え透いた計略”である、と批判しています。このほかにも”イギリス政府はチャゴス諸島の住民にはウミウシ程度の人権も認めていない”といった厳しい批判もあります。一方で、保護に賛成する環境保護団体は”もしチャゴス諸島住民が帰還したときに、彼らが資源を利用できるようにするのが保護の目的である”と、述べていたりします。
 
この問題をどのように解決されるべきかという意見は僕は持ち合わせていません。僕が偶然知らなかっただけで、長い歴史がある問題のようです。(おそらく選挙と政権交代の影に隠れて批判はうやむやのまま計画が進むのだと思います)

しかしこの問題はイギリスでしばしば見かける典型的な理屈がよく表れている例だと思います。他の例を挙げると、有名な大英博物館のパルテノン神殿の彫刻の問題があると思います。パルテノン神殿の彫刻群は長くギリシャ政府から返還を求める声があります。それを大英博物館は拒否し続けています。大英博物館の基本的な姿勢は、”文化財は人類の共有物”であり、それをイギリスの博物館に展示するのは”多くの公共の利益”がある、というものです。

過去に行った「悪行」を”人類の共有財産”や”自然保護”などの現代の美徳を使ってなんとか正当化しようとしているかのように見えるこの典型的な理屈は、見るたびにうんざりさせられます。そしてこのような正しい理屈をまとった悪徳がどれだけの人を苦労させているかを考えるとまたうんざりします。

2010年4月12日月曜日

仕分け-日本の科学関係者に望むこと

世間を騒がせた”事業仕分け”の第二段が4月23日から始まるそうです。

仕分け第2弾、候補は54独立法人 大学入試センターも -asahi.com

実は仕分けの結果それ自体にはそれほど興味がありません。その理由を挙げると、まず第一に世間で話題になった多くの仕分け結果、たとえば京速計算機計画の凍結など、が後に政治家の裁量で見直されたこと、そしてよく指摘されるように仕分け人が国民の代表ではないこと、などです。

このあたりを見てみると仕分けというイベントは、問題があるとされる事業を国民の前に持ち出すこと自体が1つの目的であって、そこで議論されている内容や結果は政治家が最終的な結果を出すための参考程度なのかなと思います。そもそも1時間程度の議論で何十億円のお金を動かせるはずがないとも思いますが。

ただし、仕分けに対する周囲の反応には興味があります。特に「巨大科学の予算を削減すべき」という意見が科学・技術分野に携わる多くの人々にセンセーショナルに受け止められたことは印象に残りました。

日本の外から見ていて多少違和感を感じた点は、その意見に対する多くの反応は批判的で、なかには”日本社会の基礎科学に対する無理解”を厳しく指摘する意見や、”日本の科学技術は死んだ”というような意見までみられたところです。例えば、このような記事がありました。

世界に誇る「科学インフラ」が、なぜ「税金のムダ」なのか? 存亡の危機に瀕した日本先端科学の象徴「SPring-8」 -日経ビジネスオンライン

批判は最終的にはノーベル賞+フィールズ賞受賞者が意義を申し立てるまでに発展しました。

まず忘れてはいけないのは、今はどこの国にもお金がないことです。イギリスでも予算の削減は常に叫ばれています。”役に立たない科学”が真っ先に疑問を向けられる対象になるのも同じです。だから「税金を使う価値があるのか?」という質問に科学者が答えなければならないのは日本だけでなく、イギリスでも、おそらく世界のほとんどの国でも同じです。

 前回の事業仕分けでは、おそらく日本では初めて公の場で「税金を使う価値があるのか?」という質問が科学に対してなされた機会ではないかと思います。その問いに対して「日本の科学は終わった」と答えるのはナイーブすぎます。

先日のEvening Standardのインタビュー記事でLarge Hadoron Collider(LHC)の必要性に関する質問に答えている素粒子物理学者ブライアン・コックスは、
All the great, paradigm-shifting discoveries have come from people who are curious about nature
全ての偉大な、パラダイムを変化させるような発見は自然に対して興味を持った人たちから生まれてきた
と述べて、科学研究それ自体の重要性を説き、さらに国民一人あたりの税金による負担はそれほど高くないこと、LHCが頻繁に止まるのは故障や信頼性の低さからくるのではないことなど、プロジェクトの内容やコストパフォーマンスを説明しています。

本来、科学者や技術者が取るべき対応は自分たちがしていることの価値を説明することのはずです。基礎科学の有用性を説明することは常に難しいですが、科学すること自体に価値があることは歴史が示しています。実は上の日経ビジネスの記事も科学技術の価値をたくさん書いています。しかしその目的は仕分けや予算削減を批判することに向けられているように見えます。

日本もイギリスも科学のおかれている立場はそれほど大きく変わらないと思います。ただ、イギリスや他のヨーロッパの科学者はより説明することの重要性を理解しているように見えます。(もちろん多くの科学者はそれを多少”生臭い”ことであると考えているようにも思いますが、悪いことと捉えているようには見えません)

対話と相互理解以外に対立を解決する方法はありません。日本の科学者は権威主義におちいらず、自らを説明し対話していってほしいと思います。

2010年4月5日月曜日

遺伝子特許は無効?

In Surprise Ruling, Court Declares Two Gene Patents Invalid -Newsweek
End of Gene Patents Will Help Patients, Force Companies to Change -Wired Science

遺伝子に対する特許は無効であるという判決がアメリカの裁判所で出たそうです。

上の記事によると、Myriad Geneticsという会社の遺伝子特許に関する裁判の結果、同社が保持する乳癌と卵巣癌の原因遺伝子(BRCA1, BRCA2)に対する特許は無効であるとの判決が言い渡されたそうです。加えて判決は、全ての遺伝子の特許の有効性に対しても疑問を投げかけたということです。(判決の内容(?)はこちら。英語と法律に詳しい人は読んで内容を教えてください)

裁判は遺伝学者や癌患者等からなる団体と、アメリカ特許庁、特許を保持するMyriad社との間で行われました。判決では、特許の存在は女性から乳癌治療の選択肢を奪っていること、そしてそもそも遺伝子は"自然の産物"であることなどの理由から、BRCA1と2の特許は無効である、とされたそうです。

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特許庁のサイトによると遺伝子の特許が認められるとする根拠は、

自然界に存在する生物から抽出・精製等により単離された化学物質は、機能(例:抗菌作用)が解明されれば特許の対象となる。さらに、病気の治療に用いるといった用途を開発すれば、治療薬等として特許している。

ということのようです。たとえばカビから抽出されたペニシリンのような物質はこれに当てはまると思います。たしかに特定の遺伝子が"自然界から抽出された化学物質"であるならば、医薬品と同様に特許が認められるべきだという意見は筋が通っています。現在でも多くの生物学者が未知の有用な物質を求めて、熱帯雨林の生物を調べて回っているとも聞きます。

一方で遺伝子に対して特許を認めることには、違和感を感じていました。

上の2つの記事にもあるように、"遺伝子は発見されるものであって発明されるものではない"というのがひとつの根拠かもしれません。通常科学的な発見は特許にはなりません。物理学者がブラックホールの特許をとることはできないように、癌の原因の遺伝子を発見しても、それを特許にすることはできないと考えるのが自然だと思います。(もちろん、それを使った癌の早期診断などは特許の対象になるはずですが)

加えて人間の遺伝子は、カビや熱帯産の未知の植物と違って、全ての人が持っているものであることも違和感の原因かもしれません。それをオリジナルの発明として特許を主張するのは奇妙だと感じます。

遺伝子の特許は、人の遺伝子研究を加速させたという点で、有効であったとも思います。多くの研究機関や企業が、病気の原因遺伝子を特定する研究で特許をめぐって競争を行ってきたことは、遺伝子を使った医療の発展を押し進めたはずです。しかし、それによって生まれた特許がさらなる遺伝子の研究や治療法の発展を阻害するのであれば、遺伝子の特許のメリットは失われていくと思います。

記事によるとMyriad社らは控訴をおこなうようです。その結果がどうなるかに注目したいと思います。また日本の大学やベンチャー企業も多くの遺伝子特許を持っているはずです。彼らがどのような対応をするかも気になるところです。

2010年3月20日土曜日

マグロについて日本政府に望むこと-2

1つ前のエントリーではこちらのニュースにあるクロマグロの禁輸案の背景についてまとめました。このエントリーでは、日本政府が根本的な問題解決のためにできると思うことを書いてみます。

今回問題になった禁輸案のような対立はあらゆる漁業資源におこりうることです。それらの対立を解消する最も自然な方法は、日本の政府自身が持続可能な漁業の実現に積極的にとりくむことだと思います。

以下に日本政府に期待する積極的な取り組みかたのポイントを挙げてみます。

1.持続可能な漁業に対する取り組みでリーダーシップを発揮する
上の読売新聞の記事で赤松農林水産大臣は以下のように述べています。
"資源管理については日本の積極的な姿勢を各国に訴えてきた。我々が想像した以上の良い結果が出た"
そして、次のようにも述べています。
"太平洋、インド洋などでも資源管理、調査を行い、日本がリーダーシップを取っていくことが大事だ"
近年のヨーロッパでは"持続可能でない自然の利用は一切認めない"という方向に社会が動いています。スーパーの魚売り場に行けば必ず"Sustainably sourced ○○"と持続可能性に関する記述が見られます(たとえばこのようなマークがついている)。だから、今回のEU諸国の提案は現在の流れを考えると当然のものとも考えられます。

日本人はこのような提案を理不尽な外圧と捉える必要はないと思います。

知ってのとおり日本には多様な魚介類の食文化が存在します。多様な食文化は海の生物多様性の反映であり、日本人の誰も乱獲によってその多様性が失われることを望んではいないはずです。

ゆえに、日本の政府は、"日本人の食文化は海の生物多様性によって支えられている、ゆえにどの国よりも率先して資源の管理に参加する"という態度を表明するべきだと考えます。

(これは、日本人の食文化に対する思いをヨーロッパの人々に理解できる言葉に訳して伝えると言い換えることができるかもしれません。)

まず、赤松農相がいうように日本が厳密な資源管理を行ってきたのなら、そのことを積極的に伝えることです。(伝える方法は"科学的"に。これは2.で書きます)

また、今回の提案の原因になったクロマグロの減少は、輸出のための乱獲が原因の1つだと言われています。直接の漁獲量だけでなく、輸出入に際して、持続可能な漁が行われているかどうかの追跡を可能にするルール作りにも参加する必要もあります。

2.科学的な方法で成果を伝える
上にあげた取り組みの結果は"科学的に"世界に発信していくべきだと思います。

これは、日本が現在行っている調査捕鯨のような、別の意味で『科学的』な方法ではなく、通常の科学の方法で成果を発信することを意味しています。

国の機関が調査の結果を伝えるという形式ではなく、第三者である研究機関や大学の研究者の手で、資源管理の有効性を調べ、学術論文として発表する、という形をとるのが最もわかりやすく、説得力があり、かつ透明性のある方法だと思います。

日本の政府や漁業者の取り組みは海外のメディアには常に伝わりにくく、欧米の運動家や政治家の英語以外で書かれた情報に対する感度は低いものです。また政府関連機関の発表は日本のものに限らず疑いの目で見られがちです。

学術論文は最も説得力のある日本人の取り組みの証拠として受け入れられるはずです。加えて、科学的な情報発信は、日本の科学者が常日ごろ行っていることなので、政治的な駆け引きをするよりも簡単でかつ安全です。

+α.ルール作りはユニバーサルな方法で
日本政府がリーダーシップをとるときに気をつけるべきことは、"日本独自の手法"にこだわらないことだと思います。以下のblogエントリに書いてあることは日本人が国際社会でリーダーシップをとるときに常に気に留めておくことだと思います。

日本色の付いた技術ではもう世界で勝てない -フランスの日々

以上です。

これまで、日本政府、そしてなにより日本のメディアは、水産資源に関する欧米諸国との対立を、政治的あるいは文化的な対立として国民に伝えてきました。今回の禁輸案の否決に関しても政治的駆け引きの成功を伝えるニュースがメディアによって伝えられています。

このような姿勢が原因か、ヨーロッパ諸国に対する反感を表す意見もネット上で見られます。

生物資源の利用を考えるとき、"獲りすぎた結果、獲れなくなることを望む人はいない"という最も基本的で、全ての文化に共通する前提を決して忘れることがないようにして欲しいと思います。

マグロについて日本政府に望むこと-1

ここ数日日本のメディアを騒がせていたクロマグロの禁輸に関する問題は、一応の決着がついたようです。

大西洋・地中海産クロマグロ禁輸案を否決 -YOMIURI ONLINE

日本の水産や流通関係者はとりあえず胸をなでおろした、といったところでしょうか。

しかし、大西洋においてクロマグロが減少していることが事実であるならば、同様の提案は遅かれ早かれまた行われると思われます。その度に、政治的駆け引きで乗り切るのもよいですが、日本政府はそろそろ根本的な問題の解決を目指していくべきだと思います。

そこで問題解決に際して日本政府に期待することを少し書いてみたいと思います。

僕は保全生物学の専門家ではないですし、国際機関の舞台裏を知っているわけでもありません。ここではインターネットを介して得られる情報と生物学を学ぶ学生としての常識的判断に基づいて書いていくことにします。

まず、問題の背景から始めます。

今回のワシントン条約の締約国会議で大西洋クロマグロ(以下クロマグロ)の禁輸が提案された直接の理由は、去年11月の「大西洋まぐろ類保存国際委員会」(以下ICCAT)の会合で決定されたクロマグロの漁獲枠における対立にあるそうです。かねてから減少が指摘されていたクロマグロの絶滅を防ぐにはICCATの漁獲枠は大きすぎる、とEU内のいくつかの国が主張しました。それらの国は絶滅危惧動物の保護を目的とするワシントン条約においてクロマグロを絶滅危惧種として扱うことによって取引を大幅に規制し、それによって保護を進めようと試みました。

クロマグロの最大の輸入国である日本にとって、この取引の規制が実現することは大きな問題でした。(WWFのウェブサイトによると世界で消費されるクロマグロの80%を日本が消費しているとのことです)

クロマグロの輸入が行えなくなると、外食産業、輸入業者などが受ける打撃は大きく、日本としてはこの提案をできれば否決したい、との考えの下、多くの交渉活動を行ったようです。

結果、今回提出された、モナコによる案、EUによる案がともに反対多数で否決されたとのことです。提案が否決された背景には日本の活動だけでなく、反欧米主義やEU圏内での対立もあったようです。

このような形で今回の提案は否決されましたが、調査によるとクロマグロの量は乱獲が行われないときと比較して15%にまで減少しており、加えて、ICCATの科学者の提唱する持続可能な漁獲量は会議に参加した国には受け入れられなかったそうです。(こちらもWWFより)

日本によるクロマグロの輸入量は年々増加しています。一方でヨーロッパにおいては持続可能な漁業は"常識"になりつつあります。

このままクロマグロの乱獲が続き、資源量が減少するなら、漁業の持続可能性を重要視するEU諸国から将来同様の提案が持ち出される可能性があることは想像に難くないと思います。

そこで日本政府にはこのような提案に対して場当たり的な政治的対応をするだけでなく、問題の根本的な解決を進めて行くこと、すなわち持続可能な漁業の推進により積極的に関わっていくこと、を期待したいと思います。

もう少し具体的な内容は次のエントリで。