2010年4月12日月曜日

仕分け-日本の科学関係者に望むこと

世間を騒がせた”事業仕分け”の第二段が4月23日から始まるそうです。

仕分け第2弾、候補は54独立法人 大学入試センターも -asahi.com

実は仕分けの結果それ自体にはそれほど興味がありません。その理由を挙げると、まず第一に世間で話題になった多くの仕分け結果、たとえば京速計算機計画の凍結など、が後に政治家の裁量で見直されたこと、そしてよく指摘されるように仕分け人が国民の代表ではないこと、などです。

このあたりを見てみると仕分けというイベントは、問題があるとされる事業を国民の前に持ち出すこと自体が1つの目的であって、そこで議論されている内容や結果は政治家が最終的な結果を出すための参考程度なのかなと思います。そもそも1時間程度の議論で何十億円のお金を動かせるはずがないとも思いますが。

ただし、仕分けに対する周囲の反応には興味があります。特に「巨大科学の予算を削減すべき」という意見が科学・技術分野に携わる多くの人々にセンセーショナルに受け止められたことは印象に残りました。

日本の外から見ていて多少違和感を感じた点は、その意見に対する多くの反応は批判的で、なかには”日本社会の基礎科学に対する無理解”を厳しく指摘する意見や、”日本の科学技術は死んだ”というような意見までみられたところです。例えば、このような記事がありました。

世界に誇る「科学インフラ」が、なぜ「税金のムダ」なのか? 存亡の危機に瀕した日本先端科学の象徴「SPring-8」 -日経ビジネスオンライン

批判は最終的にはノーベル賞+フィールズ賞受賞者が意義を申し立てるまでに発展しました。

まず忘れてはいけないのは、今はどこの国にもお金がないことです。イギリスでも予算の削減は常に叫ばれています。”役に立たない科学”が真っ先に疑問を向けられる対象になるのも同じです。だから「税金を使う価値があるのか?」という質問に科学者が答えなければならないのは日本だけでなく、イギリスでも、おそらく世界のほとんどの国でも同じです。

 前回の事業仕分けでは、おそらく日本では初めて公の場で「税金を使う価値があるのか?」という質問が科学に対してなされた機会ではないかと思います。その問いに対して「日本の科学は終わった」と答えるのはナイーブすぎます。

先日のEvening Standardのインタビュー記事でLarge Hadoron Collider(LHC)の必要性に関する質問に答えている素粒子物理学者ブライアン・コックスは、
All the great, paradigm-shifting discoveries have come from people who are curious about nature
全ての偉大な、パラダイムを変化させるような発見は自然に対して興味を持った人たちから生まれてきた
と述べて、科学研究それ自体の重要性を説き、さらに国民一人あたりの税金による負担はそれほど高くないこと、LHCが頻繁に止まるのは故障や信頼性の低さからくるのではないことなど、プロジェクトの内容やコストパフォーマンスを説明しています。

本来、科学者や技術者が取るべき対応は自分たちがしていることの価値を説明することのはずです。基礎科学の有用性を説明することは常に難しいですが、科学すること自体に価値があることは歴史が示しています。実は上の日経ビジネスの記事も科学技術の価値をたくさん書いています。しかしその目的は仕分けや予算削減を批判することに向けられているように見えます。

日本もイギリスも科学のおかれている立場はそれほど大きく変わらないと思います。ただ、イギリスや他のヨーロッパの科学者はより説明することの重要性を理解しているように見えます。(もちろん多くの科学者はそれを多少”生臭い”ことであると考えているようにも思いますが、悪いことと捉えているようには見えません)

対話と相互理解以外に対立を解決する方法はありません。日本の科学者は権威主義におちいらず、自らを説明し対話していってほしいと思います。

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