2010年4月15日木曜日

[論文]加速する"生命の樹"の探索

Rapid progress on the vertabrate tree of life
Thomson & Shaffer 2010 BMC Biology

生物間の進化上の関係を調べる系統学、その最終的な目標は全ての生物の系統関係、すなわち"生命の樹"、を知ることだといわれています。

現在、系統関係を調べる方法の主流は遺伝子の配列を使ったものです。Genbankなどの遺伝子データベースに蓄積されているDNA配列データの量は指数関数的に増加しているといわれています。しかしその増加が生物の系統の解析の精度にどのように影響を与えているのかは、正確に測られたことがなかったようです。

筆者らは、Genbankのデータを年毎に累積し、それらのデータを使って系統解析をおこなうことによって、脊椎動物の系統樹の信頼性が1993年以降どのように増加してきたかを調べました。

その結果、脊椎動物の系統樹の信頼度はおおよそ2次関数に従って増加していることや、現在、系統樹内でブートストラップ値(信頼度の指標の一種)が50%を越える分岐が全体のおよそ4分の1に達していることがわかりました。

また、脊椎動物のグループの中にもサンプル数や信頼度に偏りがあることもわかりました。哺乳類や鳥類に含まれるグループはサンプル数、信頼度ともに高く、海生生物の値は鯨類を除いて全体的に低いということです。

この他にも系統樹の信頼性に最も影響を与えている要素は、グループ内でのサンプル比率(グループ全体の種数に対するサンプルされた種の数)であることや、遺伝子ごとの解析の結果、最も信頼性の高い系統樹を推定できる遺伝子はNADH脱水素酵素(ND2)やβフィブリノゲン(FGB)などであることがわかりました。

これらの結果から筆者らは、現在のデータの蓄積のスピードを考慮すると、2020年までに脊椎動物の全ての種のサンプルが終わり、30年後には相当な信頼度で全ての脊椎動物の系統は推定できると予測しています(図左 Thomson&Shaffer 2010より)。もちろん、これらの推定は採集の困難さなどを考慮していない推定であると補足しています。またこれらの結果をベースにして将来重点的にサンプルされるべき種や遺伝子を決定できるだろうとも述べています。

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遺伝子配列の解析スピードの増加は驚くべきものがあります。図に示されたような単調な増加はありえないかもしれません。あるいは、もしかしたらもっと早く脊椎動物の"生命の樹"は完成するかもしれません。

他の生物、特に最も多くの種が発見されている昆虫なども同様の増加を示しているのかが気になります。

以下技術的なメモ
遺伝子ごとの解析の結果、ND2がもっとも高い信頼性が得られたのがすこし不思議。
おそらく多くのサンプルが含まれている近縁のグループ内での推定だからだと思われる。論文内にもあるように、全ての階層でこの結果が成り立つかどうかはわからないと思う。

2010年4月13日火曜日

かっこよすぎる物理学者

先日のエントリの中で引用した、「ロックスター物理学者」ことブライアン・コックスの出演するBBCの番組、Wonders of the Solar Systemを見てみました。以前から気になっていたのですが、いままで見る機会が無く、今回エントリを書いたのを機に見てみることにしました。

エピソード1がイギリス国内からネットで見ることができます。
Wonders of the Solar System -BBC

感想を一言でいうと、

コックス博士がかっこよすぎます。

知性的な語り口、スタイリッシュな振る舞い、そして科学の素晴らしさを説く話の内容。どれをとっても理想的な科学者像です。

番組自体もとてもよくできています。宇宙をテーマにした番組ですが、CGをあまり使わず、地球上の映像や最新の探査機からの映像を多用しています。それらを使って地球の上で成り立つ物理の法則がいかに宇宙においても成り立つかを、わかりやすく、かっこよく説明しています。

イギリスに住んでいる人は上のサイトから無料で見ることができるので、見てみてはどうでしょうか。かなりおすすめです。

2010年4月12日月曜日

仕分け-日本の科学関係者に望むこと

世間を騒がせた”事業仕分け”の第二段が4月23日から始まるそうです。

仕分け第2弾、候補は54独立法人 大学入試センターも -asahi.com

実は仕分けの結果それ自体にはそれほど興味がありません。その理由を挙げると、まず第一に世間で話題になった多くの仕分け結果、たとえば京速計算機計画の凍結など、が後に政治家の裁量で見直されたこと、そしてよく指摘されるように仕分け人が国民の代表ではないこと、などです。

このあたりを見てみると仕分けというイベントは、問題があるとされる事業を国民の前に持ち出すこと自体が1つの目的であって、そこで議論されている内容や結果は政治家が最終的な結果を出すための参考程度なのかなと思います。そもそも1時間程度の議論で何十億円のお金を動かせるはずがないとも思いますが。

ただし、仕分けに対する周囲の反応には興味があります。特に「巨大科学の予算を削減すべき」という意見が科学・技術分野に携わる多くの人々にセンセーショナルに受け止められたことは印象に残りました。

日本の外から見ていて多少違和感を感じた点は、その意見に対する多くの反応は批判的で、なかには”日本社会の基礎科学に対する無理解”を厳しく指摘する意見や、”日本の科学技術は死んだ”というような意見までみられたところです。例えば、このような記事がありました。

世界に誇る「科学インフラ」が、なぜ「税金のムダ」なのか? 存亡の危機に瀕した日本先端科学の象徴「SPring-8」 -日経ビジネスオンライン

批判は最終的にはノーベル賞+フィールズ賞受賞者が意義を申し立てるまでに発展しました。

まず忘れてはいけないのは、今はどこの国にもお金がないことです。イギリスでも予算の削減は常に叫ばれています。”役に立たない科学”が真っ先に疑問を向けられる対象になるのも同じです。だから「税金を使う価値があるのか?」という質問に科学者が答えなければならないのは日本だけでなく、イギリスでも、おそらく世界のほとんどの国でも同じです。

 前回の事業仕分けでは、おそらく日本では初めて公の場で「税金を使う価値があるのか?」という質問が科学に対してなされた機会ではないかと思います。その問いに対して「日本の科学は終わった」と答えるのはナイーブすぎます。

先日のEvening Standardのインタビュー記事でLarge Hadoron Collider(LHC)の必要性に関する質問に答えている素粒子物理学者ブライアン・コックスは、
All the great, paradigm-shifting discoveries have come from people who are curious about nature
全ての偉大な、パラダイムを変化させるような発見は自然に対して興味を持った人たちから生まれてきた
と述べて、科学研究それ自体の重要性を説き、さらに国民一人あたりの税金による負担はそれほど高くないこと、LHCが頻繁に止まるのは故障や信頼性の低さからくるのではないことなど、プロジェクトの内容やコストパフォーマンスを説明しています。

本来、科学者や技術者が取るべき対応は自分たちがしていることの価値を説明することのはずです。基礎科学の有用性を説明することは常に難しいですが、科学すること自体に価値があることは歴史が示しています。実は上の日経ビジネスの記事も科学技術の価値をたくさん書いています。しかしその目的は仕分けや予算削減を批判することに向けられているように見えます。

日本もイギリスも科学のおかれている立場はそれほど大きく変わらないと思います。ただ、イギリスや他のヨーロッパの科学者はより説明することの重要性を理解しているように見えます。(もちろん多くの科学者はそれを多少”生臭い”ことであると考えているようにも思いますが、悪いことと捉えているようには見えません)

対話と相互理解以外に対立を解決する方法はありません。日本の科学者は権威主義におちいらず、自らを説明し対話していってほしいと思います。

2010年4月5日月曜日

遺伝子特許は無効?

In Surprise Ruling, Court Declares Two Gene Patents Invalid -Newsweek
End of Gene Patents Will Help Patients, Force Companies to Change -Wired Science

遺伝子に対する特許は無効であるという判決がアメリカの裁判所で出たそうです。

上の記事によると、Myriad Geneticsという会社の遺伝子特許に関する裁判の結果、同社が保持する乳癌と卵巣癌の原因遺伝子(BRCA1, BRCA2)に対する特許は無効であるとの判決が言い渡されたそうです。加えて判決は、全ての遺伝子の特許の有効性に対しても疑問を投げかけたということです。(判決の内容(?)はこちら。英語と法律に詳しい人は読んで内容を教えてください)

裁判は遺伝学者や癌患者等からなる団体と、アメリカ特許庁、特許を保持するMyriad社との間で行われました。判決では、特許の存在は女性から乳癌治療の選択肢を奪っていること、そしてそもそも遺伝子は"自然の産物"であることなどの理由から、BRCA1と2の特許は無効である、とされたそうです。

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特許庁のサイトによると遺伝子の特許が認められるとする根拠は、

自然界に存在する生物から抽出・精製等により単離された化学物質は、機能(例:抗菌作用)が解明されれば特許の対象となる。さらに、病気の治療に用いるといった用途を開発すれば、治療薬等として特許している。

ということのようです。たとえばカビから抽出されたペニシリンのような物質はこれに当てはまると思います。たしかに特定の遺伝子が"自然界から抽出された化学物質"であるならば、医薬品と同様に特許が認められるべきだという意見は筋が通っています。現在でも多くの生物学者が未知の有用な物質を求めて、熱帯雨林の生物を調べて回っているとも聞きます。

一方で遺伝子に対して特許を認めることには、違和感を感じていました。

上の2つの記事にもあるように、"遺伝子は発見されるものであって発明されるものではない"というのがひとつの根拠かもしれません。通常科学的な発見は特許にはなりません。物理学者がブラックホールの特許をとることはできないように、癌の原因の遺伝子を発見しても、それを特許にすることはできないと考えるのが自然だと思います。(もちろん、それを使った癌の早期診断などは特許の対象になるはずですが)

加えて人間の遺伝子は、カビや熱帯産の未知の植物と違って、全ての人が持っているものであることも違和感の原因かもしれません。それをオリジナルの発明として特許を主張するのは奇妙だと感じます。

遺伝子の特許は、人の遺伝子研究を加速させたという点で、有効であったとも思います。多くの研究機関や企業が、病気の原因遺伝子を特定する研究で特許をめぐって競争を行ってきたことは、遺伝子を使った医療の発展を押し進めたはずです。しかし、それによって生まれた特許がさらなる遺伝子の研究や治療法の発展を阻害するのであれば、遺伝子の特許のメリットは失われていくと思います。

記事によるとMyriad社らは控訴をおこなうようです。その結果がどうなるかに注目したいと思います。また日本の大学やベンチャー企業も多くの遺伝子特許を持っているはずです。彼らがどのような対応をするかも気になるところです。