2018年2月16日金曜日

研究は儲けにつながるのか?日経の記事について考えたこと

とても気になるニュースがあったので、それについて考えたことをここに書いておきます。

数日前の日本経済新聞の記事に以下のような記事が載りました。

博士採用増で生産性低下 企業、使いこなせず? 日経センター調査

記事の内容は、日本経済研究センターと呼ばれるシンクタンクの研究によると博士を多く雇っている会社ほど生産性が低くなる傾向があった、というものです。

記事のもとになった日本経済研究センターのレポートの公開されている部分が非常に胡散臭いものだったためネットでは大きな話題になりました。概ね「ダメな統計」の典型例として扱われているようです。

レポートをはじめに見たときはあまり内容がピンとこなかったので、すぐに興味を失いましたが、その後津川雄介先生のTwitterに解析の内容を示した表がアップロードされてのを見て、実はとても面白い内容なのでは?と考えるようになりました。
解析方法の詳細まではわかりませんが、表はおそらく重回帰分析の結果で会社の生産性が応答変数になっていると考えられます。赤いものは係数が負になったもの、アスタリスクは推定値が有意かどうかのようです。僕はこの解析結果は決して多くの人が言うようなデタラメとは思いません。面白い結果だと思います。 

会社の生産性(つまり一人当たりの儲け、正確には付加価値)は様々な変数によって説明されるようです。いくつかあげてみると...

  • 新しい会社は生産性が高い。本社が東京にあるとよい。
  • 産業ごとに生産性がかなり違う。生産性が高そうな医薬品や通信産業は高く、低いとされるサービス業は低い(ただし有意ではない)。 
  • 社内で研究をする会社は生産性が低い。
  • 研究者の数や博士の数が多いほど生産性は下がり、研究補助者が増えると生産性があがる。

問題は最後の項目ですが、最初の2項目をみるとそれなりに納得がいくので、最後の部分だけが完全に間違っているという意見はあまり信じられません。それではこの結果は何を意味しているのでしょうか...

まず自社で研究をすると儲からないということは確かでしょう。あるいは儲かっている会社は研究しないといってもいいかもしれません。そして、もし研究をするなら、博士を多く雇うよりも、博士の数を少なくする一方で研究補助者を増やすと効率的に稼げる、ということだと思います。生産性が高い会社は少数の博士と多くのアシスタントを使って研究している、と考えると必ずしも不自然な結果ではないのでは?と感じます。

もちろん解析に問題があるとは思います。例えば交互作用が一切考慮されていません。ただ変数が多い場合にうまく適切な交互作用を見つけかつ解釈するのは簡単ではありません。あとは共線性とか、コントロールするべき変数が欠けてるかも、とか奇妙な結果につながる可能性は数えれば限りがないですが、それらが本当に問題になっているかはわかりません。

一つだけ述べるなら、交互作用が考慮されなければならないとはっきりわかるのに、考慮されていない部分があります。研究補助者の数と研究者/博士の数です。研究者がいないときに研究補助者の数を増やしても生産性があがるとは考えられません(研究者のいないときは研究補助者はなにもできないからです)。逆に十分な数の研究補助者がいる状況では研究者の数の増加は高い生産性につながるかもしれません。もし、再解析するならその点を含めてほしいかなと思います。


それでは、そもそもなぜ博士をたくさん雇うと生産性が下がるのでしょうか。最初は博士の人件費がアシスタントより高いからでは?と考えましたが、違います。生産性(=付加価値/従業員数)の計算には人件費が引かれる前の利益が使われるので人件費を削減することは生産性を向上させません(多分)。正直経営の領域なのでよくわかりません。しかし研究の専門家が増えると研究に必要なコスト(高価な実験機器、試薬、電気代など)は増えるけど、儲けに繋がるアウトプットはそこまで増えないというのは、十分にあると思われます。

もし博士の数を増やしても生産性が増えないし、そもそも研究を企業ですると損をするというのが本当なら、残念ながら博士取得者が民間企業に就職するメリットはどちらにとっても少なくなると言わざるを得ないと思います。同時に企業が効率的に儲けを出す方法はかならずしも高度な研究によらない、というのはある意味あたりまえのことなのかもしれません。

2015年9月20日日曜日

三角関数は役にたつ以上のものだと思う

いまさらですが鹿児島県の知事が先日「女子に三角関数を教えてなんになる」という趣旨の発言をして話題になりました。

 「女子に三角関数教えて何になる」鹿児島知事翌日撤回 -読売新聞

"またか"というのが正直な感想ですが、 それについて気になる記事を見かけました。

「女子」は置いといても、サインコサインは議論の余地がある -長谷川豊公式ブログ

筆者である長谷川氏の意見を要約すると、高校で授業に使える時間は限られているので何を教えるかを慎重に選ばなくてはならない、その中に三角関数を入れるべきかどうかには議論の余地があるのではないか、というものです。また、社会のなかで生きるのに重要なことである、「政治のシステムと選挙について」や「話術」、「薬学」といったものは教えられていないのに三角関数を教えなければならないのはなぜなのか、という疑問を呈しています。

ちなみに長谷川氏のいう「政治のシステムと選挙」、例えば、
国会には二つの院があるんですよ、とか、「通常国会」はいつから始まって、秋には「臨時国会」があるんです、とか知らない人、そこそこいません?
これは高校の公民で教えています。少なくとも僕は二院制、通常国会、臨時国会という言葉を習ったことを覚えています。通常国会がいつから始まるかを教わったかどうかはあいまいですが、何ヶ月間の会期があるかは習いました。あとの「話術」、「薬学」と三角関数のどっちを教えるかに議論の余地はない気もしますすが、なぜ三角関数が重要かをちょっと考えたので書き記しておきます。

僕個人の意見としては"○○を教えるぐらいなら××を教えろ"と言う意見のほとんどは意味のないものだと思います。長谷川氏のいうように高校の授業時間は限られているので、すでに教えるべきことの多くは充分に選択されていて簡単に入れ替えられないものばかりです。

それでも知識は常に古くなるし、新しいものと交換する必要はあります。僕の専門の分野の生物学では知識の更新スピードが速いので、内容の変更は多くあります。"人間の遺伝子は2.5万個である"とか"地球上にはおよそ900万種の生物種がいると推測される"といった知識は将来的に書きかえられるでしょう。

でも、たとえそうであっても、数学のカリキュラムから三角関数が消えることはありえないはずです。なぜなら三角関数は数学の最も基本的なパーツの1つだからです。たとえどんな分野であっても、少しでも数理的な考えをするなら、三角関数が不要であることはありえません。

三角関数の歴史は古代ギリシアまで遡るそうです。もともとの三角関数のアイデアは「角度」と「長さ」を結びつけることです。直角三角形のある角の角度がこれなら、ある辺の長さはこう決まる、といった感じです。その知識を使えば、木に登らずに木の高さを測ることができますし、星や太陽の高さから自分がどれだけ移動したかを知ることができます。

もっと後の時代には、三角関数を上手く解釈すると「波」を表現できることに頭のいい人たちが気付きました。例えば、音は波ですから、三角関数を組み合わせて表現できます(こういうアイデアは18世紀頃まで遡るそうです)。iTunesストアやAmazonで売っているmp3ファイルは人間に聞こえない振動の波を取り除くことによって圧縮を行っています。当然三角関数が圧縮の重要な部品の1つになっています。ほかにも、コンセントに流れる交流電流も波ですから、電気を安全に送るのも三角関数です。

すでに多くの人が三角関数が役に立つ例を挙げていると思います。どうしてこんなにいろんなことに使えるんでしょうか? 三角関数に限らず数学の多くがそういう性質をもっています。それは多分、数学が事物に関する知識ではなく、考え方に関する知識だから、だと思います。良い考え方に関する知識は使い方を理解すれば特定の対象に縛られません。(僕はこれが数学を学ぶ最も重要な理由だと思っています。)

特定の対象に縛られないということは mp3や交流電源がこの世から消えても、三角関数自体はなくならないということです。角度と長さ、波、周期的に変化する現象、といったものを考える必要がある限りその必要性は消えません。そして、そういう必要性は人間の文明の歴史の中で驚くほどたくさんあって、だからこそ三角関数は重要な数学のパーツになっているんだと思います。いつか日本国憲法が使われなくなって歴史上の一事実になったときでも、三角関数は(僕の知らない未来の技術に)使われているでしょう。

現実的な話をすると、mp3の原理である"フーリエ解析"や交流回路を扱うのに必要な"複素解析"は大学の学部課程で教えられています。もし、高校の授業から三角関数が無くなれば、このような知識を教える前提が失われます。大学の初年度から全てを教えられるとは考えられません。また、専門知識を学ぶ前の高校生の段階で、人間の知的活動の最も基本的で洗練されたパーツを知っておくことは充分に有意義だと思います。三角関数に限らず使う意思があるなら必ずいつか何かの役にたつはずです。(もちろん今の教え方がベストかは議論の余地があると思います)

2014年10月27日月曜日

[本]生物進化を考える

生物進化を考える (岩波新書)  生物進化を考える(岩波新書)
 木村資生

 偉大な先人の書いた本を読む、その2回目は集団遺伝学者である木村資生の本です(1回目はこちら)。実はこの本は僕がまだ修士の学生だったころに買って、読んではみたものの理解できずに本棚で眠らせていたものです。改めて読み直したので感想を書きます。

「日本人でもっとも偉大な生物学者は誰ですか?」山中伸也?将来的にはそうなるかもしれません。しかし現時点では僕は木村資生だと考えます。進化生物学の研究において新しいパラダイムを作り上げ、その他の生物学の分野にも影響を与える研究をした進化遺伝学者。ここまで大きな仕事ができる科学者は日本人に限らずそこまで多くありません。そんな有名な科学者による、進化生物学と著者自身が提唱した分子進化の中立説の解説の本です。

 本の内容をまとめると… 最初の2章が進化理論の歴史です。ダーウィンやラマルクに始まり、20世紀の集団遺伝学者たちの貢献について著者自身の経験を交えて紹介しています。その後の2章が生命の歴史と突然変異の分子的メカニズム、といった内容、その後の章が自然選択や中立説といった進化理論に関する詳細な解説です。これらの章は、ダーウィンの種の起源の内容の説明から、20世紀前半に行われた自然選択に関する理論や実験の説明、そして、その後の20世紀後半の分子進化研究の発展まで多くの内容をカバーしています。

後半の内容は、一般向けの解説書というより、学説をそのまま説明しているので、どちらかというと教科書のような内容になっています。(そもそも教科書として使えることを想定していると最初に書いています) ただし、著者自身がそれぞれの学説に対してどのような意見を持っているかなどが、ところどころに書かれていて、面白い内容になっています。ただ、やはりこの内容は集団遺伝学や分子進化を一切学んだことの無い人にとっては難しく、とっつきにくい内容かもしれないとも感じました。そういう意味ではこの本は進化を学ぶ学生か研究者のための本かもしれません。

 やはり一研究者として面白かったのは「中立説」に関する記述です。自説がどのようにして認められていったかに関して提唱者自身による逸話が書かれています。例えば、中立説を著者自身が"なかなか心から信じられないところがあった"と書いていたりします。後半の章では中立説が分子進化において観測されるパターン(速度の一定性、保守性、多型の頻度など)を上手く説明でき、その結果広く認められるようになったことが書かれてあり、とても勉強になりました。

また、最後のほうでは将来の研究分野は分子進化と表現型進化の橋渡しであるという意見が述べられていました。

この本を読んでいて何よりも意外だったのが最後の章です。この部分は前の全ての章と全く異なり著者の個人的意見が多く書かれており、それまでの章からは想像できないフューチャリスティックな意見が満載されています。

驚いたのは著者が優生学に対して真剣に意見を述べていることです。医療が発展し有害な対立遺伝子への自然淘汰の影響が小さくなる(つまり中立になる)と、それらが集団内に固定してしまう確率が上がり、将来世代での健康への負担が大きくなる可能性がある、と著者は指摘しています。そして、そのようなリスクを下げるために"消極的優性"を支持しています。さらに他の遺伝学者による"積極的優性"に関する意見も紹介しています。

このような意見はおそらく現在でも、そしてこの本が書かれた当時も、ほとんどの人には受け入れ難いものだと思いました。社会全体の利益のために個人の生活や出生などをコントロールするのは危険をはらんだ行為です。しかし一方で現在の医療活動が将来世代の健康のリスクを高めるなら、何もしないことは良くないかもしれません。(例えば開発の"持続可能性"なども将来世代の資源を損なわないことが重要な点とされています)このような問題はなかなか正しい答えはみつかりません。

最後にとても印象に残った著者の人柄が垣間見える文を引用してみます。この本の最後に出てくる一文です。
動物学者が書いた未来論の多くでは、人類は遠からず滅び、その後は人に代ってネズミが地球上をばっこすることになっている。筆者は、こんな貧相な未来観ではなく、人類が科学技術の粋をつくし、協力して宇宙に大発展する姿を夢みつつ、本書をしめくくりたい。

2014年3月16日日曜日

剽窃・引用・コピペ

Natureに掲載されたSTAP細胞の論文と、その著者である小保方さんによる複数の論文での不適切な行為が話題になっています。

小保方さん博士論文、20ページ酷似 米サイトの文章と
小保方氏問題 理研4時間会見詳報 「科学者としては非常に未熟」

STAP細胞の真偽についてはこれからの調査を待つとして、今僕は博士論文でのコピペをめぐる意見の中に「問題無い」と考える人が多いことに驚いています。

たとえば極端な例を挙げればこちら、

武田邦彦氏によるSTAP論文問題のびっくり解説

さすがにこれは余りに極端ですが、このほかにもメソッドのコピペは当然という意見や、剽窃と引用の区別がそもそもついていない意見が散見されて、かなり衝撃でした。

科学者であり、海外で教育を受けたことのある僕の経験と考えを書いておくことが、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないと思い、少し文章にしてみます。

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科学者が行う研究の大部分は他の科学者の仕事のうえに成り立っています。多くの研究は先人が行った研究をベースにし、そこに新しいアイデアやデータを付け足すことによって行われます。だから論文を書く時は、自分以外の研究者が行った研究に言及して自分の研究の位置付けをおこなったり、ほかの研究と比較して自分の結果の解釈を行う必要があります。

このとき、自分以外の人間が考えたアイデアや行った仕事には、”○○○○によると”、とはっきりその出所を示す必要があります。これは、どこまでが自分のオリジナルな仕事で、どこからが自分以外のものなのか、を明確にするためです。この自分以外から来たアイデアや研究の出所を示すことが「引用」です。

一方、出所を明らかにせずに、他人のアイデア(あるいは他人の表現)をあたかも自分のものであるかのように使う行為が「剽窃」です。引用が適切に行われないことが剽窃であると言い換えてもいいと思います。

法律に書いているわけではありませんが、研究者のなかでは剽窃は非常によくないこととされています。「オリジナルなアイデア」は研究者にとって最も価値あるものだからです。多分それを交換して生活するのが科学の研究者といってもいいでしょう。

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だから研究者の教育を行う場合、剽窃を避ける教育が行われるべきだし、実際行われています(少なくとも僕が博士号をとったイギリスの大学では行われていました)。

僕は留学生向けのアカデミックライティングの授業でそれを学びました。

僕が教わったことを一言でいうなら、”自分の言葉で書き直せ”、です。

他人のアイデアを引用するときは、出典を明らかにしたうえで自分の言葉でそれを書き直すこと、と本当に何度も言われました。それをせずに他人の表現を使った場合Plagiarism(剽窃をあらわす英単語)とみなされる可能性が常にあるとも教わりました。

「手法の部分ならだれが書いても同じだからコピペでもいいじゃん」、という意見もあります。しかし、たとえ同じことについて書いていても、他者が書いた文章は他者の仕事であり、その人に帰属するべきものです。だから必ず書き直すべきである、と。唯一完全な「コピペ」が許されるのは「”」で囲んで出典を明らかにしたときだけです。しかし、一文以上の文章で「コピペ」が必要なときは、やはり書き直すべきである、とも言われました。あるいは”詳細は○○○を見よ”と書いてもいいかもしれません。

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アカデミックライティングのクラスでは剽窃を避け適切な引用をする練習もしました。

具体的には、論文を読んで理解した内容を自分の言葉で要約する、というものです。
読んだ論文内の言い回しを出来る限り直接使わず自分の理解を一段落程度(あるいは一文)に要約する、ということを何度もしました。

この練習は英語の練習にもなるので、おすすめです。僕は暇がある時は今でも時折やっています。

たとえば先日紹介したGoldman et al. (2013)の論文を僕が自分の言葉で1文に要約するなら、こんな感じになります。

Goldman et al.(2013) developed a novel robust method to store information in DNA fragments using ternary coding and redundant sequence coverage.

自分の言葉で書いた文章は、意外なほど他人の文章と一致することがありません。(もちろん似ることはあります。さすがにここまで短いとあまり自信がないかも...)
一文が似ていても自分の言葉で書き続ける限り、何十行にわたって全く同じになることは絶対にありえません。多分文章には書いた人のボキャブラリーや表現の癖、そしてなにより研究の内容に関する理解が反映されるからだと思っています。 

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渦中の小保方さんは”論文の盗用が悪いと思わなかった”と言っているといわれています。もしそれが真実だとするなら、博士課程で十分な教育と訓練が行われていなかったということになります。

自分の言葉で英語が書けるようになるには時間がかかります。僕もまっとうな文章がようやく書けるようになったのは外国に住んで5年以上たってからですし、今でも英作文は難しいと思っています。

ただ、英語力と「適切な引用方法」を切り離して考えることはできると思います。
日本語でレポートを書く時でも、 このアイデアはどこから来たのか、自分自身の考えはどこからどこまでか、を区別し適切な引用をする訓練をすることはできるはずです。

そんな地道な教育を続けることだけが、このような不祥事を減らす方法だと僕は思います。

2013年9月26日木曜日

[論文]DNAにデータを保存する

Towards practical, high-capacity, low-maintenance information storage in synthesized DNA
Goldman et al. (2013) Nature

今年の初めに出版されたSFのような面白い論文です。

タイトルの"information storage in synthesized DNA"という言葉のとおり、人工的に合成したDNAにデータを保存し、それを復元することに成功した、という内容の論文です。

DNAはとても長持ちします。保存状態にもよりますが、数万年という時間が経ったサンプルからでも情報を取り出すことができることがすでにわかっています。例えば、ネアンデルタール人やマンモスのゲノムが既に解読されています。

この論文では、その安定なDNAを超長期間のデータの保存に使うためのデータ保存法を報告しています。

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以下のような方法がDNAへのデータの保存に使われました。

まず2進数のデータを3進数のデータに変換します。(DNAは4種類あるのになぜ3進数かというと、同じ塩基が隣り合わないようにするためです。同種の塩基が隣り合う状態(例、ATTTTAC)は既存のシークエンサーでは読み取りエラーが起こりやすいので、それを避けています)

その後、3進データをDNA配列に変換し、その配列を持ったDNAを合成します。長大なDNAの鎖を作るではなく、長さ100塩基ほどの断片を、配列の同じ部分を合計4回読むようにオーバーラップさせて合成します。(重複させるのはもちろん誤りの可能性を減らすためです) 断片の両端にはデータのインデックスになる情報を付加しておきます。

このような方法を使って4つのファイル、およそ760Kバイトの情報がDNAに書き込まれました。

そしてコードされた人工のDNAは、既存のシークエンサーで配列を調べられ、その配列を解読することで、ほぼ全てのデータを復元することに成功した、ということです。(この過程でDNAは一度フリーズドライされて普通の小包で別の研究機関に送ったそうです)

試算によると、このDNAを用いた情報保存法は、数百年から数千年といった期間においては、電磁気的な媒体よりもコストパフォーマンスが高くなる、ということです。テープのように定期的にコピーをとる必要がほとんど無く、保存のコストも低いのが大きな利点のようです。また、既存の方法(PCR)などを使って増幅が簡単にできるので、データの複製も簡単にできるようです。

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SFのような話ですが、この論文を読むかぎり、意外に早くDNAを使ったデータ保存が実用化されるのでは?と思ってしまいます。

この論文の特徴的なのは、従来のDNAへのデータ保存の研究と違って3進数のコードを使ったり、DNA断片に冗長性を持たせたりしてエラーを抑える工夫がされているところだと思います。情報技術と生物学の綺麗な融合です。例えば"ホモポリマーはエラーが出やすい"といったことは多くの分子生物学者が知っていることですが、その知識がDNAにデータを保存するときにも重要になってくるというのは新鮮な驚きです。この論文の筆者はEBI(ヨーロッパバイオインフォマティクス研究所)の有名な研究者ですが、彼らの研究の幅の広さを感じさせます。

2013年9月24日火曜日

就職活動はレモン市場なのか...?

最近よくニュースでブラック企業の話を見ます。
特に見ていて気になるのは、"ブラック企業を警戒しすぎて雇用のミスマッチが起こっている"という話です。

就活生悩ませる「ブラック企業検証」 白か黒か…見分ける方法はあるのか -産経新聞

「ブラック企業」に怯える若者 情報不足、過剰警戒が生む雇用ミスマッチ  -産経新聞

「日本の企業なんてみんなブラックだろ...」と個人的には思いますけど、視点を変えて、どうしてこんなことになってしまったのか考えると、面白いことに気付きました。

それは就職活動をする学生の過剰な警戒だけでなくて、そもそも過熱して長期化する就職活動自体が"情報の非対称性"が原因で起こっているのではないか、ということです。

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"情報の非対称性"という概念自体最近ある本を読んで知ったことなので、間違っている部分もあるかもしれませんが、簡単にいうと、売り手と買い手の間で商品について知っていることに差があることをいいます。

ある商品の価値が買い手にはわからないけど、売り手にはわかるとき、買い手は損を避けるため、安く買おうとします。この結果、本当に良いものを売る人は相対的に損をして、悪いものを売る人は得をします。結果良いものを売る売り手は市場から減り、悪いものを売る売り手が増えていきます。さらにその結果、買い手はより安い値段をつけようとして、商品の値段とクオリティーがどんどん下がっていきます。このような情報の非対称性のせいで機能しなくなる市場を"レモン市場"と経済学の世界では呼ぶそうです。

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企業が学生を選抜するとき、学生が本当に役に立つかはわかりません。その結果、会社は"レモン"(悪い商品)と"サクランボ"(良い商品)を見分けることに必死になるはずです。その結果就職活動が長引きます(エントリーシート、一次面接、二次面接、etc...)。企業は大量の情報を学生から得ることで情報の非対称性を解消する、という戦略をとって損を防ごうとしているようです。

この戦略が学生に大きな負担を与えています。しかし、際限無く長くなる就職活動の期間を見る限り、企業は現在でも沢山の"レモン"を買っている(と考えている)可能性があります。

もし企業の情報収集が上手くいっているなら、優秀な学生は得をするはずです。これは望むべきことですが、過剰な情報収集は学生を疲弊させます。一方で情報がないと、レモン市場の理屈に従って優秀な学生は損をするはずです。そして人材のマーケットの質全体が低下していくはずです。これは就職活動の本質的なジレンマなのかもしれません。

 一方で、上のニュースでは不思議な逆転現象が起こっています。
これは、"学生の側からも企業の本当の姿がわからない"、というもう1つの情報の非対称性が、昨今のブラック企業問題によって明らかになったのではないかと思います。 学生にとってブラック企業に就職することは文字通り命に関わります。学生が企業の内部の情報を知り得ないかぎりは、彼らが取りうる戦略は"できる限り警戒する" ことぐらいです。この結果本来"サクランボ"である企業が"レモン"を避けるプロセスで損をしている。これが問題のミスマッチの原因だと思います。

単純な解決策は、ブラックでない企業は積極的に情報を開示すればいいんではないかと思います。残業の総時間や○年での離職率○%などなど。情報の非対称性を解消すれば良い"サクランボ"が売れるはずです。

そもそも、学生に全ての情報(学歴からサークル活動まで)を見せることを求めておきながら、企業はその必要がないという考え方自体がアンフェアです。そして、大学で働く人間としては、企業には"レモン"を避けることばかり考えずに"サクランボ"を育てることを考えて欲しいとも思います。

2013年8月7日水曜日

epubで論文(2) Kindleバージョン

今年の初めごろにPMCでダウンロードしたepub形式の論文をブラウザで読んでみたことを書きました。(こちら)

そのときは電子書籍リーダーを持っていなかったので、PC上で読んでみたんですが、最近Kindle Paperwhiteを買ったので、そちらでepub形式の論文を表示させて見ました。

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まずepubの論文をPMCからダウンロードします。
今回は、こちらの論文( Drummond et al. 2006)を使うことにしました。選んだ理由は有名な論文であることと、複雑な図表や数式が入っていることです。

Kindleは独自のmobi形式の電子書籍ファイルしか読めないので、まずepubをmobiに変換します。ここではcalibreという電子書籍管理ソフトを使いました。読み込んだepubファイルをクリック1つでmobiに変換できます。

mobi形式に変換された論文のファイルはAmazonの"send to kindle"サービスを使ってKindleに送ります。xxxx@kindle.comというメールアドレスにmobiファイルを送ると自動でライブラリにファイルが追加され、自分のKindleに自動でダウンロードされます。全部自動です。

epubをダウンロード→mobiに変換→Kindleに送る、というステップが多少面倒ですが、基本的にはとても簡単です。

Kindleにダウンロードしたものがこちらです。(以下の画像内の文章、図は全て Drummond et al.(2006) のものです)









そして本文はこんな感じです。









フォントや行間隔を調整すればかなり読みやすくなります。PDFの論文のように画面全体を見ることが出来ませんが、ただ読むだけならこれで充分だと感じます。

数式を表示させてみると...









...これはちょっと微妙な感じです。画像として埋め込まれていると思われる数式はちょっと小さすぎます。文章内の数式は少し崩れていますが、こちらは許容範囲だと思います。他のepubファイルで試したところ、数式を綺麗に表示できるときと、できないときがありました。原因はよくわかりません。

次は図ですが...









小さい文字はかろうじて読めるといったところです。小さすぎる数字は読むのがかなりしんどい感じです。色が使われている部分は濃淡があまりはっきりしないので、少し見づらいと思います。紙に印刷したものと比べると多少見劣りします。

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全体的に、論文の文章部分はかなり読みやすいと思います。文章の多い論文はプリントアウトせずにKindleで読んでも事足りるかもしれません。一方で、数式が上手く表示されないときがあったり、図表が少し見にくかったりするので、普通の研究論文をKindleだけで読むのは少ししんどいかもしれません。複雑な図はPDFかPCのepubリーダーを使わないと何が描かれているのかわからないと思います。

上の論文以外にもいくつかの論文を読んでみましたが、現時点でKindleでepubの論文を読むのは不可能ではないと思いました。でも、図表を大量に使った論文を読むのはかなり大変です。一方でレビュー論文のように文章の多い論文はKindleでも上手く読めると思います。あるいは、論文の中に何が書いてあるのかを流し読みするようなことにも使えるかもしれません。

技術的にはまだまだ発展の余地があると思いますが、将来epub論文を専用のリーダーで読むのが主流になるかどうかはまだわからない、といったところだと思います。